当たり前の毎日は当たり前ではなくて特別な1日だ

以前からブログを見ていた青猫さんのお父さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りします。

青猫さんは恐らく私と同い年。面識はないものの、この年齢にもなると年齢が同じだけで親近感が勝手に湧いてくる。青猫さんに訪れたことが私にも訪れないことはない。あくまで時期が違っただけである。自分だったらどうなんるのだろう?と考えてみた。

私は自分の父親と仲悪くないものの、互いにそっけないこともあり、電話で『最近どう?』なんてやり取りをしたことが一度もない。2020年なんて一度も会わず話さずだ。母親からは『元気だよ』と聞いているが、既に70を過ぎた年齢なので、いつが最後になるのかは分からない。いなくなれば会うことも話すこともできないが、既に10年近くまともに顔を合わせていないので、強烈な後悔が襲ってくるかどうかは不明だ。

当然いなくなれば昔のことを思い出してと泣くだろう。父はギャンブル好きで月末になると金欠になってイライラするダメな大人だったが、本人が全く興味ないJリーグやアニメ映画に行ってくれたこともある。ダメな大人だったが、ダメな父親ではなかったのだ。私には人の子供はいないが、いたとして同じことができたかどうかは分からない。

ただ、それはあくまで10代前半までという25年以上前の記憶だ。大人になってからは話すことも減り、10年前に引越しをした際は手伝ってくれたものの、互いに何を話せば良いのか分からず、適当に時事ネタで誤魔化していた。そんな距離感である。なので「介護が必要です」と言われても、同居してまでサポートする気は到底ない。可能な範囲でサポートはするが、100%はしないだろう。そういう冷めた部分が父にそっくりなところだということは自負している。

なので“悲しい”のとは少し違った感情になりそうだ。

  • 通っていた学校が廃校になった
  • 住んでいた街が都市開発の影響で全て立ち退きになった
  • 応援していたサッカー選手が引退した

これらと同等か少し上ぐらいだろうか。当然涙は出るが、日常が手に付かない程落ち込むことは考えづらく、翌日には気持ちの切り替えが済んでいそう。あくまで予想だけど。青猫さんのお父さんのように、急に具合悪くなって病院からの呼び出しが、、なんてあったら気が動転して当然だ。私でも同じ感情になるに違いない。そうならないためにすることなんて幾らでもあるが、我々世代の親が素直に子供の言うことを聞くほど素直じゃない。ハードルが高過ぎるのだ。

とはいえ、いつ父や母がいなくなるのかは分からないし、いつが最後の会話になるかも分からない。昨年はコロナで互いに気をつけて距離をとったが、今年は何回か会ってみようかな。話すことないけど。

当たり前の毎日だと思っていたことは、時間が過ぎれば当たり前でなくなり、過去の思い出となる。どんなに面白い1日でも忘れたくて仕方がない1日でも、その人にとっては特別な1日であることに変わりはない。そんな分かりきっている事実が、日々によって忙殺され、気づけば『あれ?もう1年終わっちゃった?』の繰り返しで、40手前まで生きてきた。今後は何となく終わらせる毎日を可能な限り減らし、少しでも『あーもう明日で終わっても問題ないっす』と言えるぐらい、人生の後半は充実させたい。それが難しいんだけどね。コロナ禍でやれることは限られているが、もう40代は目の前だ。ということで、今日は仕事している風にキーボードを打ちながら、FANZAの10円セール作品をダウンロードしていく。

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